映画「2012」とりあえず、なげーよ! 2時間40分ぐらいあります。たぶんテレビでは放送されないだろう大作映画です。2011年の震災がなければ、ふつうに娯楽作品として放送されていたかもしれません。2012年あたりに。そういう過去もありえたかもしれませんね。そんな過去はきっと平和だったでしょう。これを観ておもったのは、リアリティの問題です。震災前と震災後では、観る人の意識がどう変わったのか。フィクションにおけるリアリティというのが、まったく変化しなかったということはないとおもいます。それがなにか、どういうことなのか。その結論を言えば、描写レベルのリアリティは低いのだけれど、可能性としてのリアリティは高い——というのが、震災後の(実際に経験した人の)感覚。あれだけ揺れてたら、まともにたっていることさえ難しいはずなのに、登場人物たちは(大慌てで、しかしごくあたりまえに)歩いている。そういう点でリアリティに欠けているのですが、あのような災害がおこらないとは限らないという可能性の点では、リアリティがあります。震災前はそれが逆だったような気がします。でもまあたぶん実際に被災した人でないとわかりにくいかもしれないけど。たとえば映画での地震の描写を見て「うわ、すげーリアルだなー!(CGだけど!)」と感じてはいても、実際に現実にそんなこと(大地震)がおこるなんて(本気では)おもいもしていなかったのではないかなと。そんな実感はなかったんじゃないかなと。それが震災後は逆になったということです。そういえば主人公の男優ですが、ハゲそうな予感がひしひしと感じられます。非常にリアリティがある未来です。もしかしたらハゲはもうすでに発生しているのではないかという感覚さえあります。秘密裡に隠匿しているだけではないのかと。国家機密ですね。そんなことさえも震災後は一定のリアリティをもって感じられるのかもしれません。じつはすでにヅラなのでしょうか。なんだか胸騒ぎがします。杞憂に終わればよいのですが。改行しないと読みづれーな!

 

善悪ははっきり存在する。善は悩む。悪は悩まない。善は実現が非常に難しいからです。ただし悪は善に見せかけるために悩んでいるふりをしたりもするので要注意です。映画「ウォッチメン