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おがまいねぐ

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あまちゃん脚本の宮藤官九郎様が朝日新聞のインタビュー(2013年10月1日朝刊)で話していました。

 

宮藤官九郎「田舎の人は「なにもないですよ」と言うけど、そんなことはない。見方を変えればおもしろいもの(ネタ)だたくさんあるんだということを言いたかった」(だいたいこんな感じ。てきとう)

 

いえ、そこまで思いつめたネガティブな気持ちで言っているわけではないので、それこそ「おかまいねぐ」ってかんじです。

 

「なにもないです」と言うのは、「あなたたち東京の人にとってみれば」きっとなにもないように感じるだろうから、前もって言っておいたというだけで、すんでいる本人が心の底から「この地元にはほんとになんにもなくてつまらないゴミのような地域であって、東京はなんでもあってすばらしい、うらやましいなあ……」と思って言っているというわけではないですよね。

 

なにしろ、都会の人が田舎に来て「田舎は空気がうまくていいなあ」なんて言ってる半日後には「なんだよ、○○もないのかよ! 田舎だなあ〜」と不平を言うわけなので、ほんとめんどくさいんですね。

 

宮藤官九郎のように積極的におもしろいものを見つけるような人なら、そんな面倒なことにはならないのですが、そうではなくて「やっぱ俺たちの住む東京はすばらしいな、田舎はなんにもなくて不便でとてもじゃないが住んでられないよあんなところ。あーやだやだ」……というタイプの人が多いので。

 

東京から来た人が、どっちのタイプかなんて、いちいちわかるまで観察して待ってるのもめんどくさいんですよね。

 

そういうの相手するのいい加減ほんとくそまぢでめんどくさいから、あらかじめ「なにもないですよ」とひっくるめて言っているわけです。

 

そのあたりの意味というか真意というのを誤解して受け取っているのかもしれないですね。

 

だからその言葉を額面通りに理解して、「いやいや、見方を変えればいろんな魅力がたくさんあるじゃないですか!!」ということを主張するのでしょうけど、「えっと……はあ……それは……知っていますが?(なにをいまさら)」という感じで、ぽかーんとしてしまいます。

 

そのあたりは一九八〇年代に青春を過ごした人らしい、うっかり読み違えです。純粋ですね。

 

まあでも、東京中心主義のメディアでそういうことを大々的に取り扱う人はそれほど多くはないから、みんながうすうすおもっていることを描いてくれたということで共感を得られた部分もあったかもしれないですね。

 

田舎ものとしては、へんに田舎を美化してしまう(じゅうぶんされている感じがします)のも、震災直後に絆とか不思議な言葉が飛び交っているのに対して「なんだかよぐわがんねえな……」とつぶやいていた主人公と似たような感覚がしてとまどってしまうところもありますが。

 

なにもわざわざとってつけたように美化する必要はないので。まにあってるから。

 

(誤字脱字・意味の通らない文が多いな……)

 

まあでも——

 

宮藤官九郎「物語を作るとき、見る角度を一回変えないと、おもしろいモノは生まれない気がする。80年代の話は2013年の今から見れば一昔前。僕からすれば時代劇。長いスカートをはいて、聖子ちゃんカットで学校に通っている。そこから話を考えれば、新しいモノができるような気がした。おじいちゃんが見られるような話で考え始めたら、なにも思いつかなかったと思う。それがモノの見方を変えるということ。創作するときのしみついた癖。」

http://digital.asahi.com/articles/TKY201309300457.html(会員登録しないと全文読めない糞仕様)

 

これはほんとにそのとおりですね。

 

いろいろいろんな角度からものを見てみるということは、とても大切なことですね。

 

というわけで。

 

「ものの見方」ということを考えるには、この本を買ってくれるとインターネット乞食はうれしいです。

アウトサイダー(上) (中公文庫)

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アウトサイダー(下) (中公文庫)

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コリン・ウィルソン超読書体験〈上〉 (学研M文庫)

コリン・ウィルソン超読書体験〈上〉 (学研M文庫)

 
コリン・ウィルソン超読書体験〈下〉 (学研M文庫)

コリン・ウィルソン超読書体験〈下〉 (学研M文庫)

 
ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学 (中公文庫)

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うれなそうなのばっかだ!